01.根津神社について

根津神社について

 

御由緒

今から千九百年余の昔日本武尊が東夷征定の途次、武神須佐之男命の御神徳を仰ぎ千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間(1469~87)には太田道灌が社殿を奉建しています。

神仏習合の時代には、根津権現社と呼ばれ、御祭神素盞烏尊(本地:十一面観音菩薩)、相殿に山王大権現(本地:薬師如来)、八幡大菩薩(本地:阿弥陀如来)を祀り、根津三社大権現と呼ばれていました。

現在地は江戸時代、甲府宰相徳川綱重(三代将軍家光の三男、六代将軍家宣の父)の山手屋敷であり、のちに六代将軍となる綱豊(家宣)の生誕の地でありました。
五代将軍徳川綱吉が兄綱重の子綱豊(家宣)を養嗣子に定めると、家宣の産土神である根津権現社にその屋敷地を献納、現在の社殿を奉建し、宝永3年(1706)千駄木の旧社地より遷宮、永代社領500石を寄せています。

明治時代には、神仏分離令によって社名を根津権現社から根津神社に改称し、明治天皇御東幸にあたっては准勅祭社と定められ、御勅使が国家安泰の御祈願をされています。

昭和20年戦禍により社殿の一部に損害を受け、復旧工事をし昭和34年に竣工しました。引き続き、唐門、透塀、楼門の修繕も行い、昭和37年に完成、宝永の昔さながらの威容が復活しました。

 

御祭神

須佐之男命・大山咋命・誉田別命 

相殿 大国主命・菅原道真公 

 

御神徳

根津神社には主祭神、相殿併せて5柱の神様をお祀りしており、その御神徳は広大無辺です。

厄除け、除災招福、心願成就、家内安全、病気平癒、延命長寿、五穀豊穣、安産、学業成就、縁結び、商売繁盛、殖産興業等

 須佐之男命(スサノオノミコト)  防災防疫の神、歌人の神、軍神、豊穣の神

 大山咋命(オオヤマクイノミコト) 山の地主神、農業・醸造の神

 誉田別命(ホンダワケノミコト)  文武の神

 大国主命(オオクニヌシノミコト) 国造りの神、縁結びの神

 菅原道真公(スガワラミチザネ)  学問の神

 

御社殿

五代将軍徳川綱吉は兄綱重の子綱豊(六代将軍家宣)を養嗣子と定めると、家宣の産土神である根津神社にその屋敷地を献納、世に天下普請と言われる大造営を行いました。宝永3年(1706)完成した権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・西門・透塀・楼門が欠けずに現存し、国の重要文化財に指定されています。

 

幣殿・本殿
本殿、幣殿
拝殿
拝殿
唐門
唐門
西門
西門
透塀
透塀
楼門
楼門

 

社宝類

太刀
太刀 銘長光 梨地卍紋散糸巻(綱吉奉納)
太刀 銘備洲長船秀光(家継奉納)
(重要文化財)(非公開)
青銅燈籠
青銅燈籠一対 藤堂和泉守高敏奉納(重要文化財)(拝殿前) 
神輿
神輿三基 正徳4年徳川家宣奉納(文京区指定有形文化財)
(通常非公開、4年に一度神幸祭の際に一基ずつ公開)

獅子頭
獅子頭 正徳4年徳川家宣奉納(文京区指定有形文化財)
(通常非公開、4年に一度神幸祭の際に公開)
神楽面
神楽面 出目寿満作(文京区指定有形文化財)
(9月例大祭にて社伝神楽「三座の舞」で使用される)
胞衣塚
徳川家宣胞衣塚(文京区指定有形民俗文化財)(乙女稲荷近く)

寿老人
寿老人画 徳川綱吉筆
(非公開)
三十六歌仙
三十六歌仙絵 森村宜永筆(社殿内、つつじまつり期間中拝観可)
石燈篭
石燈籠一対 久世大和守重之奉納(唐門前)

 

境内神社

駒込稲荷神社

●御祭神
 伊弉諾命・伊弉冊命・倉稲魂命・
 級長津彦命・級長戸辺命

乙女稲荷神社

●御祭神
 倉稲魂命

駒込稲荷
乙女稲荷

 

つつじヶ岡

境内地となる以前、綱吉の兄・甲府藩主綱重の下屋敷だった頃、屋敷西側の丘につつじの名所館林よりキリシマツツジを移植したことに始まり、つつじヶ岡と呼ばれる府内の名勝でした。現在のつつじは、戦災で被災した社殿の修復が終わった後、荒れていた丘に3,000株を増植したもので、昭和45年より「文京つつじまつり」を催しています。花季に100種3,000株のつつじが色とりどりに咲き移ります。

つつじ
つつじ
つつじ
つつじ
つつじ
つつじ
つつじ
つつじ
つつじ
つつじ

例祭(9月21日)

六代将軍徳川家宣は幕制をもって当社の祭礼を定め、正徳4年(1714)には江戸全町より山車を出し、山王祭、神田祭と並び、天下祭と呼ばれる壮大な祭礼を執行しました。
現存する大神輿3基は、この時家宣が奉納したものです。

三座の舞
神輿
まつり